2017/02/06

私が大好きな曲



"Warrior"/Steven Curtis Chapman

彼はとても大切なことを歌っている。

「私たちは、ひざまづいて戦う戦士。」

この曲に出会えてうれしい。私はこの曲にとても励まされている。



この世では敵を見誤っている人がとても多い。というか、ほとんどがそうなんだと思う。敵を見誤ると当然だけど疲れるし無駄な傷を負うし負わせる。私だってそうだった。未だに時々間違えては気付く、その繰り返しで学んで行く。

幸いなことに、間違えたり、間違えそうになった時に、気付くことができるように、気が付いたら即座に方向転換ができるように、ここまで守られてきたんだ。だけど、ほんとうのことを人に伝えようとすればするほど、敵である彼らにとって私は邪魔で、陥れたいそんな対象であり続けている。だから日々、戦っている。武器を持たず、私の力に任せず、ただひざまづくことによって。自分で戦わないことが勝利のコツだ。この曲もそのことを歌っている。

本当の敵は、目に見えず、そして目に見える形で表れているときには、その顔は天使のように魅力的で、耳に聞こえる形で表れているとき、その声はとても甘く優しい。しかしその目的は、破壊であり滅び。それだけ。それを知りながら、自分の心の中にそれが隠れていないかを常に点検し、この世のあらゆることを見つめて行く。


「自分の人生は自分のもの」

ほとんどの人はそう信じて疑わない。


私たちが人間として持っているこの体、心、生命が、すべて偶然の産物であったなら、その本質は「偶然」でしかないのだから、それを例え「奇跡だ」と捉えたとしても、そこに決まった目的はないのだし、「自分の人生は自分のもの」として捉えるのは当然だよ。理由も目的も必要ではない。ましてや「正しさ」など、だれが決めた…?

だけどきっと、心のどこかでは気が付いている。問いをもっている。



「自分は何処から来て、何処へ行くのか」

「いつから、どうして、人は「愛」があることを知っているのだろう」

「正義はあるのか」

「生きる目的とは」





けれど考えてもわからない。(わからないようにされている、と言った方が正しいかもしれない)更にそこからどんどん派生して自分の中に生まれてくる様々な疑問の数々に混乱してしまう。どこか不安に思ったりしている。

だから多くの人は「自分なりの答えを見つければいいのだ」と言ったり、「答えなどない」と悟ったふりをして諦めたり、諦めたふりなどしている。しかし問いは完全に消えることがない。そして私も含めすべての人は「自分なりの答え」「自分なりの正しさ」に従っていく先では無自覚の場合でもどこか不安定で、正しいはずなのに無駄な傷を負ったり負わせたりする。誰でも必ず、大なり小なり罪を犯す。気付かないうちに、心身と魂が滅びへ向かわせられている。なぜか。


答えは一つ、「ある」からだ。

「ある」から、その正しい答えから外れているとき、

つまり、「ない」と思ったり「ないのかもしれない…」と思うと

人は苦しいのだ。悲しいのだ。

胸の奥がきゅっとする。



...



戦士とはどういうことか?それは、「ある」答えを知り、その為に目的をもって生きる人たちの事だ。

いったい誰と戦っているのか?それは、「ある」答えを「ない」ように(又はまるで複数あって選ぶことができるかのように(つまりそれは「ない」のと同じだ))見せて、私たちに目的を見失わせるように働いている勢力の事だ。




大好きな愛するみんなへ、私はここに伝えておくよ。

答えは「ある」。

どうか必ず見つけてよね。

言っとくけど、これはBusinessなんかじゃない。

わかるでしょ?





Shalom! 今日も私とみんなの心に喜びと平和が、そして愛が、ありますように。